VINTAGE CULTURE BASE × LEGEND PLAYER OFFICIAL APPAREL
– サッカーの歴史と文化を纏う、新たな試み –
それは、着ることで語り継ぐ──
日本サッカー文化の継承と再発見をめざすプログラムです。
VINTAGE CULTURE BASEは、 日本サッカーの歴史と文化を次世代へつなぐ拠点づくりを目指しています。
KAKU SPORTS OFFICE(代表 角田壮監)がプロデュースする日本サッカーの歴史や伝説を語り合う文化の拠点「VINTAGE CULTURE BASEフットボールコレクション」。オンラインショップ「COMBINATION MEAL」(株式会社キャンビー 代表取締役神戸洋昭)とのコラボレーション第4弾として奥寺康彦氏公認のアパレル「LEGEND FOOTBALLER」をリリース。
1970年代後半、日本にはまだプロサッカーリーグが存在せず、海外移籍は夢物語でしかなかった。そんな時代に、日本サッカーリーグ・古河電工サッカー部の奥寺康彦は、日本人として初めて欧州主要リーグの扉を開いた。
1.FCケルンでの活躍
1977年、日本代表の欧州遠征をきっかけに1.FCケルンの名将ヘネス・バイスバイラー監督に見出された奥寺は、強い後押しを受けてドイツへ移籍。初年度からリーグ戦25試合に出場し、チームはブンデスリーガとDFBカップの二冠を達成した。特にドイツカップ準々決勝では2ゴール2アシストの大活躍を見せ、サッカー先進国で確かな存在感を証明する。翌シーズンには欧州チャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)に出場し、準決勝進出に貢献。アジア人として初めて欧州最高峰の舞台でゴールを挙げ、1.FCケルンの栄光と共にその名をクラブの歴史に刻んだ。
ヘルタ・ベルリンへ、そしてブレーメンでの主力時代
ケルンで3シーズンを過ごした後、奥寺は1980年に2部のヘルタ・ベルリンへ移籍。翌年には名将オットー・レーハーゲル率いるヴェルダー・ブレーメンに移籍し、再びブンデスリーガ(Division1)の舞台へ。ブレーメンでは5シーズンを戦い、リーグ準優勝3回(1982/83、84/85、85/86)を経験。優勝には届かなかったものの、クラブの黄金期を支える主力として信頼を集めた。
データが示す偉大な足跡
ブンデスリーガ通算:234試合出場・26得点
在籍クラブ:1.FCケルン(1977–80)、ヘルタ・ベルリン(1980–81)、ヴェルダー・ブレーメン(1981–86)
獲得タイトル:ブンデスリーガ優勝(1977/78)、DFBカップ優勝(1977/78)、ブンデスリーガ準優勝(1982/83、84/85、85/86)、DFBカップ準優勝(1979/80)
“東洋のコンピューター”と呼ばれた理由
スピードと戦術理解に優れ、左サイドからの突破や得点だけでなく、守備的ポジションでも安定したプレーを披露。ゴールキーパー以外すべてのポジションをこなしたといわれる汎用性の高さから、ドイツサッカーシーンでは彼を「東洋のコンピューター」と称えた。これは単なる異国から来た選手への好奇心ではなく、実力を認められた最上級の称賛の証だった。
パイオニアの意義
奥寺がドイツに渡った1977年、日本ではまだプロ化の議論すら始まっていない時代。彼の挑戦は、後に、日本サッカーリーグのプロサッカー選手登録、プロサッカーリーグ創設、そして日本人選手の欧州移籍が当たり前の時代への布石となった。奥寺自身も「日本サッカーリーグ復帰の際に、ドイツでの実績が、当時のアマチュア選手登録ではなく“プロ選手登録”が認められるきっかけになった」と語っている。
未来へ拓かれた「ブンデスリーガ」への道
高原直泰、香川真司、長谷部誠、岡崎慎司、大迫勇也、伊藤洋輝、堂安律、板倉滉 ──今や数多くの日本人選手がブンデスリーガで躍動している。その礎を築いたのは、前例のない挑戦に身を投じ、道を切り拓いた奥寺康彦に他ならない。そして2017年10月、奥寺はDFL(ドイツ・フットボール・リーガ)から「ブンデスリーガ・レジェンド・ネットワーク」のメンバーに選出された。ブンデスリーガのブランドアンバサダーとして活動する姿は、彼がドイツ文化の中で真に認められた証といえるだろう。いつの時代も、先駆者の存在なくして文化は育たない。奥寺の功績は単なる数字にとどまらず、日本サッカーの「世界への扉」を開いた歴史そのものなのである。
過去の挑戦を今に語り継ぎ、次の世代へつなぐ──VINTAGE CULTURE BASEは、そんな記憶と未来を共有する場所です。
奥寺康彦公認 Tシャツ
奥寺康彦公認 プルパーカー
奥寺康彦公認 ロングスリーブTシャツ
奥寺康彦 LEGEND FOOTBALLER・ロングスリーブTシャツ
奥寺康彦公認 クルースウェット
奥寺康彦 LEGEND FOOTBALLER・クルースウェット
奥寺康彦公認 トートバッグ
VINTAGE CULTURE BASE」は、KAKU SPORTS OFFICEがプロデュースする、日本サッカーの歴史や伝説を語り合い、次世代に継承していく“文化拠点”プロジェクトです。
このプロジェクトでは、日本サッカーの黎明期を支えた選手をはじめ、アジア初制覇・世界への道を切り開いた代表選手、海外挑戦の先駆者、女子サッカー発展の礎を築いた選手たちなど、歴史に名を刻んだ“レジェンド選手”たちに再び光を当て、その功績と存在を世代を超えて語り継ぐ文化づくりを推進しています。
VINTAGE CULTURE BASE × LEGEND PLAYER OFFICIAL APPAREL –
サッカーの歴史と文化を纏う、新たな試み – それは、着ることで語り継ぐ──
日本サッカー界は、ワールドカップやオリンピックといった国際大会での日本代表の活躍に加え、地域密着型のプロサッカーリーグの定着と発展、そして教育・医療・文化など、さまざまな分野で日本社会に良質な影響を与え続けてきました。
その歩みの背景には、厳しい時代を乗り越え、礎を築いてきた先人たちの努力と情熱があります。彼らの存在があったからこそ、今の日本サッカーがあり、次世代へつなぐ価値が生まれています。
未来を見据えて今に没頭するなかで、私たちは時に、過去にある大切な価値を見落としがちになります。しかし、KAKU SPORTS OFFICEは、古き良き価値の中にこそ、これからの時代に必要な「学び」や「ヒント」があると信じています。
私たちが紹介するエピソードは、ある人にとっては「懐かしさ」であり、またある人にとっては「新しい発見」かもしれません。もしあなたがその時代を知っているなら、当時を語れる人とともに思い出を共有してください。そして当時を知らない世代の人々には、その魅力を語り継いでください。
日常の中で語られる「古き良き価値」や「懐かしさ」が、やがて日本サッカー界の新たな伝説につながる「今」をより豊かなものにしていく――。
KAKU SPORTS OFFICEは、誰もが輝ける心豊かなサッカー文化を創造し、「VINTAGE CULTURE BASE」の普及を通じて、その未来づくりに貢献してまいります。
本企画に関するご質問やご相談は、下記までご連絡ください。
KAKU SPORTS OFFICE
プロデューサー:角田 壮監(Kakuta Masami)
Website: https://kakusportsoffice.com/
Mail: contact@kakusportsoffice.com
「アスリート思考で心豊かな社会を創造する」をモットーに、競技スポーツに関わる個人・企業・団体の活動や事業を、的確な視点で分析します。そして、言語・文化・音楽・映像・活字といった多様な“シンボル”を活用し、人と人、組織と組織、企業と企業、人と組織・企業といったあらゆるつながりの中から、最大の相乗効果を生み出す組み合わせをコーディネート。新たな利益システムを構築するコミュニケーションコーディネーターとして活動しています。
また、創業者・企画者としての精神をもとに、理念や目的を共有できるパートナーの育成や、持続的かつ自走可能な組織づくりを支援するシステムコーディネーターとしても貢献。さらに、競技者一人ひとりが本来持つ力を引き出すメンターとして、競技スポーツの発展にも寄与しています。