VINTAGE CULTURE BASE × LEGEND PLAYER OFFICIAL APPAREL
– サッカーの歴史と文化を纏う、新たな試み –
それは、着ることで語り継ぐ──
日本サッカー文化の継承と再発見をめざすプログラムです。
VINTAGE CULTURE BASEは、日本サッカーの歴史と文化を次世代へつなぐ拠点づくりを目指しています。
KAKU SPORTS OFFICE(代表 角田壮監)がプロデュースする日本サッカーの歴史や伝説を語り合う文化の拠点「VINTAGE CULTURE BASEフットボールコレクション」。オンラインショップ「KEY LEGEND」(株式会社キャンビー 代表取締役神戸洋昭)とのコラボレーションで森島寛晃選手公認アパレル「LEGEND FOOTBALLER 森島寛晃」をリリースしました。
日本サッカー界は、東京オリンピック(1964年)、メキシコシティオリンピック(1968年)の日本代表強化をきっかけに大きな改革が行われました。1965年に、それまで大学サッカーが主流だった環境から日本サッカー初実業団(社会人)全国リーグ・日本サッカーリーグが開幕。その日本サッカーリーグ黎明期を牽引したチームの一つがヤンマーディーゼルサッカー部(以下、ヤンマー)です。日本を代表するヤンマーは、日本サッカーの王様・釜本邦茂と日本サッカーリーグ初の外国籍登録選手でブラジルサッカーの伝道師・ネルソン吉村大志郎(ネルソン吉村)が活躍。日本サッカーの発展に多大な影響を与え続けたヤンマーの功績と共に現在の日本サッカーに語り継ぐ素敵な文化があります。その文化の中心人物がミスター・セレッソ大阪 森島寛晃氏です。

日本サッカー界のレジェンド木村和司と同じ広島県の大河FCから、サッカー王国静岡の東海大学第一高校(現・東海大学付属静岡翔洋高校)へ進学。
1991年、ヤンマーディーゼルサッカー部(当時、日本サッカーリーグ2部)に入団。
1994年、クラブはJリーグ参入を目指しセレッソ大阪へと生まれ変わります。
森島寛晃は、その変革期を最前線で牽引し続けました。
2008年の現役引退まで、移籍することなくセレッソ一筋。
それは偶然ではありません。クラブと人生を重ねるという“選択”でした。
セレッソ大阪の背番号8は、単なるエースナンバーではありません。
それはクラブの哲学を体現する番号です。
その原点は、日本サッカーの王様・釜本邦茂とともにヤンマーディーゼル黄金期を築いた”ネルソン吉村大志郎(ネルソン)”です。
そのネルソンは、現役引退後もクラブを離れることはありませんでした。
社員としてヤンマーに残り、コーチ、監督、スカウトとして尽力。
1990年、監督として若き森島寛晃を見出します。
小柄で決して評価が高かったわけではない一人の青年に、未来を託した。
ヤンマー初のプロ契約選手誕生。
ネルソンの眼差しは、常に「クラブのため、選手のため」。
口癖は、「もっと練習を、もっと自分で考えろ」
それは単なる指導ではなく、クラブを愛し、共に生きるという哲学でした。
森島寛晃は、その哲学を最も体現した存在です。
クラブ一筋。
小柄でも諦めない姿勢。
仲間のために走る献身。
そして引退後もクラブに残る選択。
それは偶然ではありません。
ネルソン吉村が示した「クラブと共に生きる」という生き方を、森島は受け継いだのです。
背番号8は、森島のもとで“象徴”から“文化”へと昇華しました。
小柄な体格。
洗練された技術。
卓越した戦術眼。
泥臭くゴールを狙うフォワード。
しかし彼を特別にしたのは、プレー以上のもの。
「見ていて応援したくなる選手」
「日本一腰の低いJリーガー」
謙虚さと誠実さ。
サポーターとの距離感。
クラブへの忠誠。
森島寛晃は、“人々に愛される、応援されるという才能”を持っていました。
それこそが、ミスターセレッソという称号の本質です。
2002年6月14日、FIFAワールドカップ2002、長居スタジアムでのチュニジア戦。
森島寛晃はゴールを決め、日本をベスト16へ導きました。
クラブの象徴が、クラブのホームで、国家の代表として歴史を動かす。
あの瞬間、セレッソの文化は世界に可視化されたのです。
ネルソンの8番(ヤンマー)は、森島の8番(ヤンマーからセレッソ)へ。
そして、その8番は、桜の8番となり
香川真司
清武弘嗣
柿谷曜一朗
乾貴士
へと受け継がれていきます。
しかし、重要なのは、誰が着けたかではありません。
何を背負ったのか。
クラブに栄光をもたらし、
社員としての身分のままクラブに尽くしたネルソンの真心。
クラブと人生を重ねた森島の覚悟。
それが「桜の8番」の本質です。
2008年、惜しまれながら現役を引退。
しかし、森島寛晃はクラブを離れませんでした。
アンバサダー、強化部を経て、
2018年に代表取締役社長へ。
2025年からは代表取締役会長。
輝かしい歴史ある名門クラブが
低迷していた時代に入団。
クラブの再建に尽力し、
選手人生を1つクラブでプレーし、
引退後も関わり続け、経営の中枢を担う。
それはキャリアではなく、哲学を生き続けるという選択です。
桜の8番は、シャツに記された単なる数字ではない。
それは、
クラブの哲学や歴史、伝統を背負い
・覚悟
・責任
・献身
・誇り
・クラブ愛
を象徴するもの。
ネルソン吉村大志郎から森島寛晃へ。
そして次の世代へ。
桜の8番は、哲学のバトンなのです。
レジェンドを“記憶”するのではなく、レジェンドを“文化”する。
桜の背番号8は、受け継ぐ者に問い続けます。
あなたは「何を背負うのか」と。
VINTAGE CULTURE BASEは、
その問いを言語化し、次世代へとつなぐ拠点であり続けます。


森島寛晃選手公認アパレル「LEGEND FOOTBALLER・桜が継承する栄光の8番の象徴」全アイテム
森島寛晃選手公認アパレル「LEGEND FOOTBALLER・桜が継承する栄光の8番の象徴」・Tシャツ
森島寛晃選手公認アパレル「LEGEND FOOTBALLER・桜が継承する栄光の8番の象徴」・プルパーカー

森島寛晃選手公認アイテム 日本サッカー初のW杯決勝トーナメント進出「2002年W杯・長居(大阪)の歓喜」、「モリシの日」

VINTAGE CULTURE BASE」は、KAKU SPORTS OFFICEがプロデュースする、日本サッカーの歴史や伝説を語り合い、次世代に継承していく“文化拠点”プロジェクトです。
このプロジェクトでは、日本サッカーの黎明期を支えた選手をはじめ、アジア初制覇・世界への道を切り開いた代表選手、海外挑戦の先駆者、女子サッカー発展の礎を築いた選手たちなど、歴史に名を刻んだ“レジェンド選手”たちに再び光を当て、その功績と存在を世代を超えて語り継ぐ文化づくりを推進しています。
VINTAGE CULTURE BASE × LEGEND PLAYER OFFICIAL APPAREL –
サッカーの歴史と文化を纏う、新たな試み – それは、着ることで語り継ぐ──
日本サッカー界は、ワールドカップやオリンピックといった国際大会での日本代表の活躍に加え、地域密着型のプロサッカーリーグの定着と発展、そして教育・医療・文化など、さまざまな分野で日本社会に良質な影響を与え続けてきました。
その歩みの背景には、厳しい時代を乗り越え、礎を築いてきた先人たちの努力と情熱があります。彼らの存在があったからこそ、今の日本サッカーがあり、次世代へつなぐ価値が生まれています。
未来を見据えて今に没頭するなかで、私たちは時に、過去にある大切な価値を見落としがちになります。しかし、KAKU SPORTS OFFICEは、古き良き価値の中にこそ、これからの時代に必要な「学び」や「ヒント」があると信じています。
私たちが紹介するエピソードは、ある人にとっては「懐かしさ」であり、またある人にとっては「新しい発見」かもしれません。もしあなたがその時代を知っているなら、当時を語れる人とともに思い出を共有してください。そして当時を知らない世代の人々には、その魅力を語り継いでください。
日常の中で語られる「古き良き価値」や「懐かしさ」が、やがて日本サッカー界の新たな伝説につながる「今」をより豊かなものにしていく――。
KAKU SPORTS OFFICEは、誰もが輝ける心豊かなサッカー文化を創造し、「VINTAGE CULTURE BASE」の普及を通じて、その未来づくりに貢献してまいります。
本企画に関するご質問やご相談は、下記までご連絡ください。
KAKU SPORTS OFFICE
プロデューサー:角田 壮監(Kakuta Masami)
「アスリート思考で心豊かな社会を創造する」をモットーに、競技スポーツに関わる個人・企業・団体の活動や事業を、的確な視点で分析します。そして、言語・文化・音楽・映像・活字といった多様な“シンボル”を活用し、人と人、組織と組織、企業と企業、人と組織・企業といったあらゆるつながりの中から、最大の相乗効果を生み出す組み合わせをコーディネート。新たな利益システムを構築するコミュニケーションコーディネーターとして活動しています。
また、創業者・企画者としての精神をもとに、理念や目的を共有できるパートナーの育成や、持続的かつ自走可能な組織づくりを支援するシステムコーディネーターとしても貢献。さらに、競技者一人ひとりが本来持つ力を引き出すメンターとして、競技スポーツの発展にも寄与しています。