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ラモス瑠偉選手の伝説を語り継ぐ VINTAGE CULTURE BASE × KEY LEGEND

2024.10.28

ラモス瑠偉選手の伝説を語り継ぐ VINTAGE CULTURE BASE × KEY LEGEND

ラモス瑠偉公認 アパレル「ドーハの悲劇を忘れない」

日本サッカーの歴史や伝説を語り合う文化の拠点「VINTAGE CULTURE BASEフットボールコレクション」。今回。ラモス瑠偉氏公認のアパレル「ドーハの悲劇を忘れない1993.10.28」をオンラインショップ「KEY LEGEND 」からリリースしました。

ラモス瑠偉氏 プロフィール(リンク)

ラモス瑠偉公認 Tシャツ

ラモス瑠偉 ドーハの悲劇を忘れない・Tシャツ 

ラモス瑠偉公認 Tシャツ

ラモス瑠偉 ドーハの悲劇を忘れない・プルパーカー

「ドーハの悲劇」とは

日本サッカー史上で、「ドーハの悲劇」と語り継がれている伝説があります。1993年10月28日カタール・ドーハ。アメリカで開催されるワールドカップの出場をかけたアジア最終予選。日本サッカーの悲願であったワールドカップ初出場まで残り十数秒……。

その後に日本国民が目にした光景は「ドーハの悲劇」と呼ばれています。

サッカーの弱小国・日本 1989年

1989年、翌年にイタリアで開催されるワールドカップのアジア予選は1次予選で敗退。1968年に開催されたメキシコシティ五輪以降、国際舞台で活躍する事が出来ていない日本。南米、欧州、アフリカ、北中米カリブ海、オセアニア、アジア。各大陸のレベルを考えると、アジア大陸は最下位のグループで、その中でも日本代表は苦戦を強いられていました。そのような日本サッカーの危機的状況を変えてくれる希望が、1989年に日本国籍を取得した読売クラブの司令塔・ラモス瑠偉氏。ブラジルの名将ジノ・サニ氏からブラジルのプロリーグでのプレーを勧められたにも関わらず、日本人の奥様が一人娘であることから、ブラジルに帰国せず、日本でプレーすることを選びます。日本でプレーをする上で、ラモス瑠偉氏にとって「自分の家族」である読売クラブへの恩返しをするために、日本国籍取得を決断。

ラモス瑠偉氏が日本国籍取得

ラモス瑠偉氏は1989年11月に日本国籍を取得します。ラモス瑠偉氏は、1990年9月のアジア競技大会北京大会で日本代表に初招集。1992年の日本プロサッカーリーグ・リーグカップや、1993年の日本プロサッカーリーグ開幕で日本サッカー界が盛り上がる中でラモス瑠偉氏は「日本代表が国際試合で不甲斐ない試合をすれば、これから始まるプロリーグがダメになってしまう」と考え、たくさんの犠牲を受け入れ、所属チームと日本代表チームの両方で、満身創痍となってもプレーを続けました。

日本サッカー奇跡の飛躍はラモス瑠偉氏の誇りと魂

「日本をワールドカップに連れて行く」という決意を心に刻み、弱小日本代表チームに自信、覚悟、責任、結束、愛国心、誇りを爆発的な情熱で植え付けました。さらに、日本代表ユニフォームに国旗を入れてもらうことを提案し「日本国民を代表」する自覚を、日本サッカー界に浸透させます。ラモス瑠偉氏が加わった日本代表は、海外チーム、外国籍選手に臆することなく自信を持って闘い続け、1992年8月に東アジア王者、11月にはアジア王者、さらに翌年には、アジア・アフリカ王者に駆け上がります。サッカー弱小国であった日本・日本サッカー奇跡の飛躍です。

ドーハの悲劇は「神様が与えた試練」

1993年10月28日 アメリカワールドカップ・アジア最終予選イラク代表との最終節。日本サッカーの悲願であったワールドカップ初出場まで残り十数秒……。その後に、日本国民が目にした光景が「ドーハの悲劇」です。ラモス瑠偉氏はドーハの悲劇を「神様が与えた試練」と表現しています。あの「ドーハの悲劇」から30年。神様が与えた試練を乗り越えた日本は、2002年に自国でワールドカップを開催。その後、ワールドカップに7大会連続出場、2大会連続4回目のベスト16。女子代表は、2011年ワールドカップ優勝。ビーチサッカーはワールドカップファイナリスト。フットサルもワールドカップに出場。男女サッカーのアンダー世代、オリンピックでも日本サッカーは確かな存在感を国際シーンに示せるようになりました。

ラモス瑠偉氏の姿が日本サッカー発展の象徴

今日も日本サッカー界は確かな成長を続けています。今後、さらなる成長を目指す中で、何かに迷い、歩むべき道を見失いそうな時は、ラモス瑠偉氏の姿から「ドーハの悲劇・神様が与えた試練」を思い出してほしい。サッカー弱小国の日本を「ワールドカップに連れて行く」と決意し、日本サッカー奇跡の飛躍を成し遂げ、打ち立てた目標を達成するために、最後まで必死に闘い抜いたラモス瑠偉氏の姿は、日本サッカー界の発展の「鍵」であり、シンボルとして語り継がれていくべき「伝説」です。

Japan’s Wayコンセプトムービー

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