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ラモス瑠偉 日本サッカー殿堂掲額 プロフィール監修

2018.09.10

ラモス瑠偉 日本サッカー殿堂掲額

2018年第15回日本サッカー殿堂掲額のプロフィールを監修しました。

(公財)日本サッカー協会 公式サイト

掲額者 ラモス 瑠偉 RAMOS Ruy

投票選考 2018年第15回日本サッカー殿堂入り

1957年2月9日 ブラジル リオデジャネイロ生まれ

1977年に来日、読売クラブでプレーする。1983年にJSL初優勝、翌年の連覇に大きな役割を果たした。その後通算5回の優勝に貢献、1979年、83年には得点王、79年、89/90、90/91シーズンにはアシスト王にも輝いた。JSL2部6試合出場5得点(1977年)、JSL1部210試合出場69得点(1978~1992年)。1992年のJリーグカップ、1993年にスタートしたJリーグでは、ヴェルディ川崎で引き続きプレー。1993年、94年にはリーグ優勝、リーグカップ勝者となり、94年チャンピオンシップでは芸術的なループシュートを決めた。

1989年に日本国籍を取得し日本代表となり、横山謙三監督の下、91年キリンカップで優勝。92年にはハンス・オフト監督の下、ダイナスティカップ中国大会、アジアカップ広島大会で初優勝に貢献した。94年アメリカ・ワールドカップの予選でも中心選手としてプレーし、出場まであと一歩に迫ったが「ドーハの悲劇」と呼ばれる無念の結果に終わった。

1997年にはビーチサッカー日本選抜を編成し、ビーチサッカー世界選手権(リオデジャネイロ)に出場。1999年にはフットサル日本代表選手として第1回AFCフットサル選手権に出場。

現役引退後は、ビーチサッカー日本代表の監督として指揮を執り(2005年、2009~13年、2018年~)、AFCビーチサッカー選手権優勝2回、準優勝1回、FIFAビーチサッカーワールドカップ4位、ベスト8に2度導いた。Jクラブの東京ヴェルディ1969(2007年J1昇格)、FC岐阜でも監督を務めた。現在、ビーチサッカー日本代表監督。

KAKU SPORTS OFFICE (カクスポーツオフィス)

ミッション

アスリート思考で心豊かな社会づくりをクリエイトする

アスリート思考で心豊かな社会をクリエイトするをモットーに、競技スポーツを活動や事業にされている個人、企業、組織の情報を的確な視点から分析し、情報、文化、言語、音楽、映像、活字などのシンボルを駆使し、人と人、組織と組織、企業と企業、人と組織、人と企業など最大の効果を生み出すであろう組み合わせをコーディネートし、利益システムを構築するコミュニケーション コーディネーターとして活動します。また、創設者、創業者、企画立案者の精神である組織の理念、目的を共有できるパートナーの開発や持続的且つ自走可能な組織づくりを推進するシステムコーディネーターとして活動します。さらに競技者本来の力を引き出すメンターとなり競技スポーツの発展に貢献します。

ラモスプロジェクト

ラモスプロジェクトコーディネーターとして、現役プロサッカー選手時代、そして引退後もラモス瑠偉氏のプロジェクトに従事。ラモス瑠偉氏の精神、魅力、活力を活用したいと考えている企業、自治体、社会貢献活動組織、競技団体、教育機関などのニーズに応じた各種相談、調整を承ります。

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